世界に誇る刺青文化をもちながら、未だ明治以降の錆び付いた近代化の認識で、我々刺青者を差別する社会に、怒りを隠せない今日この頃。
日本の刺青の歴史
「縄文・弥生期の日本は、世界でも有数の刺青文化を有していたと考えられているが、集権国家が形成されはじめた古墳時代になると、人物を模った埴輪の表面は文様を持たない簡素なものとなるため、これをして刺青の風習が廃れたと主張する意見がある。また、古代の畿内地方には刺青の習俗が存在せず、刺青の習俗を有する地域の人々は外来の者として認識されていた、との主張も存在する。 これは、古事記 の神武天皇紀に記された、伊波礼彦尊(後の神武天皇)から伊須気余理比売への求婚使者としてやって来た大久米命の“黥利目・さけるとめ”(目の周囲に施された刺青)を見て、伊須気余理比売が驚いた際の記述を論拠とするものである。日本人考古学者の視点には、刺青が刑罰化されて以降強まった否定的な感覚や、後世に再構築された神道観が影響を与えているとの考察も存在する。後の仏僧(日本以外でも同様である)が刺青を不浄な存在とは捉えていない点から否定される観点である。現代の力士が刺青をしない事を、刺青が穢れと認識されている根拠とする意見もあるが、現在の相撲もまた明治維新以降に再構築された存在であるため、現代の相撲は後世の神道観によって修正を加えられていると考察するのが自然であり、これをして古代に刺青に対する穢れ意識が存在した根拠とはできない。なにより、刺青をした力士を模った埴輪が実際に出土(刺青をした力士の埴輪: 井辺八幡山古墳より)している。
古代の日本における刺青の習俗が廃れるのは、王仁および513年の百済五経博士渡来による儒教の伝来以降と考えられ、以降の律令制の確立とともに刺青は刑罰としての入墨刑に変化した。一方では、律令制の確立と密接な関係を持つ遣唐船の乗組員達に刺青の習俗があったとされ、後に発生した倭寇集団もまた刺青を入れていた事が知られており、海上交易や漁撈を生業とする人々の間では、呪術と個体識別の用途から、広く刺青が行われていた事が知られている。このほかにも蝦夷や隼人といった人々や、儒教と対立した密教の僧侶によって、刺青の技術が継承された。山岳仏教出身者であり、書寫山圓教寺を開いた性空は、胸に阿弥陀仏の刺青を入れていた事で知られる(「阿弥陀来迎図流転の謎」 2.天台本覚思想と来迎図)。日本においては耳なし芳一の説話が有名だが、経文を直接身体に書き込む行為は、仏法への帰依とその加護を得る目的で広く行われて来た。現代のタイやカンボジアなど小乗仏教の盛んな地域では、経文を身体に刺青する習慣が一般的に見られる。
また、戦国時代には死を覚悟した雑兵達が、自らの名や住所を指に刺青で記す個体識別目的の習俗があったとされる。
現代に続く日本の華美な刺青文化は、江戸時代中期に確立されたものと考えられている。江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始め、犯罪者が多数発生するようになったため、犯罪の抑止を図る目的で町人に対する入墨刑が用いられ、容易には消えない入墨の特性が一般的に再認識された事で、その身体装飾への応用が復活した。遊郭などにおいては、遊女が馴染みとなった客への気持ちを表現する手段として、「○○命」といった刺青を施す「入黒子」と呼ばれた表現方法が流行した。こうした風潮に伴って、古代から継承された漁民の刺青や、経文や仏像を身体に刻む僧侶の刺青といった、様々な刺青文化が都市で交わり、浮世絵などの技法を取り入れて洗練され、装飾としての刺青の技術が大きく発展した。装飾用途の刺青は入墨刑とは明確に区別され、文身と呼ばれる事が多く、江戸火消しや鳶などが独特の美学である『粋』を見せるために好んで施したほか、刑罰で刺青を入れられた前科者がより大きな刺青を施すことでこれを隠そうとする場合もあった。背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな刺青の技法は、この時代に完成されている。
十九世紀に入ると刺青の流行は極限に達し、博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業では、刺青をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。
幕府はしばしば禁令を発し、厳重に取り締まったが、ほとんど効果は見られず、やがてその影響は武士階級にも波及して行き、旗本や御家人の次男坊・三男坊や、浪人などの中にも、刺青を施す者が現れるようになり、デザインにも「武家彫り」や「博徒彫り」といった出身身分の違いが投影された。下総小見川の藩主内田正容などは、一万石の知行を持つれっきとした大名でありながら彫り物を入れていたと言われる。ただし正容の場合は、さすがに幕府も看過することはできなかったようで、後に不行跡を理由に隠居を命ぜられた。時代劇で有名な江戸町奉行の遠山景元に刺青があったとの伝承が残されているが、これを裏付ける資料は発見されていない。また、当時の武士階級の間では、刺青のある身体を斬る事に対して、その呪術性への恐れから生じた忌避感情が存在していた事も記録されており、市中では帯刀できない町人にとって、刃傷沙汰を避ける自衛策としての側面もあった。
明治維新以降、近代国家体制の構築に邁進した新政府は、1872年(明治5年)の太政官令によって入墨刑を廃止するとともに、同年11月に司法省が発令した違式註違条例を受けて旧幕臣出身である大久保一翁東京府知事が発した布告によって、装飾用途の刺青を入れる行為を禁止し、既に刺青を入れていた者に対しては警察から鑑札が発行された。以降、1948年(昭和23年)まで日本における刺青は非合法の存在となり、刺青を施す行為は厳しく取り締まられ、当時の彫師達は取り締まりを恐れて住居を転々と移した。しかし、日本の伝統的刺青の芸術性と高い技術は外国船の船乗りを通じて世界に広く知られ、1881年に英国のジョージ5世とアルバート皇子が来日した際に入れ墨を入れさせたと伝えられている。また、1891年に皇太子時代のニコライ2世(ジョージ5世の従兄弟にあたる)とギリシャのゲルギオス皇子が来日した際にも両腕に龍の刺青を入れたことが知られている。明治初期における厳しい取締りの後、刺青はある程度黙認される存在へと変わり、小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)のように禁令後に刺青を入れながら政治家として活躍する人物も現れた。また、刺青の持つ性的装飾としての側面や嗜虐性も、この時期から大衆文化のなかで再度クローズ・アップされはじめている。こうした背景から、谷崎潤一郎の『刺青』発表の後、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」のように現代まで継承されているキャラクターが出現したほか、横溝正史は多くの作品で刺青をモチーフとして、あるいは小道具として多用した事で知られている。
刺青に対する法的規制は、敗戦後の1948年(昭和23年)の新軽犯罪法の公布とともに解かれたため、現在の日本では刺青そのものに対する規制は存在しない。
ウィキペディアより抜粋
http://www.amazon.co.jp/ref=gno_logoより抜粋
日本の刺青と英国王室―明治期から第一次世界大戦まで [単行本]
かつてイギリス王室を始めとする欧米の上流階級の間でもてはやされ大流行していた時代があった。 小山 騰 (著)
カバーの肖像写真に息をのんだ。笑みを浮かべた妙齢の英国女性?が身にまとっているのは繊細なレース模様のドレスではなく、全身?にほどこされた刺青なのだった。彼女は「刺青師の王様(キング)?」と呼ばれた英国人G「文明開化」で「野蛮」として禁止された日本の刺青を「文明国」の王室関係者や貴族が競って求めた――明治期に来日した英国の王子たち、第一次大戦で敵対した協商国と同盟国の王室関係者、そしてヤルタ会談で第二次大戦を終結させたルーズベルト、チャーチル、スターリンまでもが、実は刺青を入れていた!
序 章 英国の 「刺青」 時代
イレズミとは / 英国王室での流行 / 欧米諸国への広がり
第1章 幕末・明治の名人刺青師
谷崎潤一郎 『刺青』 / 『日本社会事彙』 と 「刺青考」 / 幕末の名人 / 明治初期の名人 / 明治後期の名人 / 日本刺青界が生み出した最高の名人、 彫宇之
第2章 日本滞在記や旅行記に紹介された日本の刺青
オールコックとオリファントの観察 / 外国人が目にした刺青 / 入墨する外国人 / 入墨の方法
第3章 英国王室とエドワード7世
英国王室とヨーロッパ王室の錯綜した関係 / エドワード7世
第4章 英国における刺青受容と刺青師たち
19世紀における刺青の受容 / 女性の刺青と貴族の結婚 / 英米の刺青師たち / タトゥー・マシン / 英国の4大刺青師 / サザランド・マクドナルド / アルフレッド・サウス / トム・ライレー / ジョージ・バーチェット / 刺青を入れた王室関係者や貴族たち
第5章 日本で刺青を入れた英国王室関係者および英国貴族
チャールズ・ベレスフォード / アルフレッド王子の来日 / アルバート・ヴィクター王子とジョージ王子 / コノート父子の来日
第6章 「刺青師のエンペラー」 彫千代
伝説化した彫千代 / 彫千代の実像
終 章 「文明」 と 「野蛮」 のパラドクス
日英関係の変化と刺青の拒否 / 彫千代と藤田嗣治 ――西洋への移植に彫宇之以上に貢献 / 大英帝国と日本の刺青 / ヤルタ会談の3首脳 (ルーズベルト・チャーチル・スターリン) の刺青
刺青墨譜―なぜ刺青と生きるか [単行本]
斎藤 卓志 (著)
刺青に魅せられた著者が、丹念な聞き書きにより刺青の存在論的意義を明らかにする。現代の刺青と、習俗としてあった刺青の体験値を突き合わせた、ユニークな文化史論集。
序 刺青の民俗史
第一章 欲望する人間
初めてのタトゥー/彫ることへの好奇心/派手な人はやらない/アートになった刺青/見る、見せる/なぜ、今「刺青」なのか
第二章 刺青の現場
背中の刺青/皮膚の下の声/ヘビの出ているひと/刺青が大好き/花観音
第三章 刺青のかたち
刺青は点からできている/メカニズムは不明/彫場で音を聞く/イカ墨も墨か/彫師も迷う「刺青」と「タトゥー」/タトゥーサミット/薄墨ぼかしの発見/色と筋/浮世絵との関係/墨刑とは何か/関東と関西の違い/刺青の標本/ほんものの凄み/ヤクザの刺青/彫師への信頼感/構図の難題/刺青道具屋/谷崎潤一郎から金原ひとみまで/リメイク
第四章 刺青文化を探る
顔の刺青/柳田国男の見た針突/奄美・沖縄の入墨「針突」/島唄の中の針突/アイヌの入墨「パシュ」/川並と仕事師の話
第五章 彫師の「場」
文明開化と刺青/二足の草鞋/京都御幸町のタトゥーショップ/彫師から見た刺青/「彫場」から──三代目彫よし
第六章 内なる世界
痛みより魅力/オブセッション/拠りどころ/背負ってゆくもの/おわりに
あとがき
いれずみ(文身)の人類学 [単行本]
吉岡 郁夫(著)
縄文時代にいれずみ習俗は存在したのか。人はなぜ、自らのからだに傷をつけて文様を施してきたのか。日本とその周辺地域に絞り、多種多様ないれずみのもつ意味とその起源をさぐる。
歴史民俗学〈No.16〉特集 風俗としての刺青 [単行本]
歴史民俗学研究会 (編集)
刺青、入れ墨、イレズミ、タトゥー…。究極の身体装飾「イレズミ」を多様な側面から分析・紹介! 日本人の刺青に対する想いを探る。
奄美の針突―消えた入墨習俗
山下 文武【著】
第1章 南島の入墨の周辺(わが国入墨変遷の歴史概略;南島婦人入墨習俗の古来説論 ほか)
第2章 入墨の施行動機をめぐる論説(入墨をめぐる信仰論;入墨の階級差別説)
第3章 南島の入墨研究概要(奄美における研究概要;沖縄における研究概要)
第4章 入墨各論(入墨の呼び方;入墨施行の動機 ほか)
第5章 入墨図譜
いれずみの文化誌 [単行本]
小野 友道 (著)
自分を守る。他者から外敵から、厳しい労働から。古代から現代に到る究極の表現行為の歴史と文化人類学。皮膚科の権威による世界のいれずみをめぐる30の物語。
刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ (NHKブックス) [単行本]
宮下 規久朗 (著)
今日、雑誌や野外彫刻で目にする七頭身美人のヌードとは、全く異なる美の基準に立つ裸体表現が江戸時代に存在した。美人画や刺青画では肌の白さやきめ細かさが重視され、他方、生人形では日常の姿を写し取る究極の迫真性が追求され、生身の人間性を感じさせる淫靡な裸体芸術が花開いた。明治期、人格を除去し肉体を誇示した西洋ヌードを移入すると、伝統の解体や再接続を経て、新たな裸体美が模索される。従来の研究から抜け落ちた美術作品を多数俎上に載せ、日本美術史の書き換えを試みる画期的な論考。
新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉
(岩波文庫) [文庫] 石原 道博 (翻訳)
古代日本の最大の謎である邪馬台国については、数多くの研究が発表され、その論争は過熱の度を加えている。しかし、その論争の多くは、魏志倭人伝中の邪馬台国に関するわずかな記述の解釈をめぐってのものに他ならない。この魏志倭人伝を始め、古代日本に関する中国史料を一堂に集めた史料集。現代語訳・原文(影印)を新たに付した。
新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝―中国正史日本伝〈2〉
(岩波文庫) [文庫] 石原 道博 (翻訳)
古代日本の最大の謎である邪馬台国については、数多くの研究が発表され、その論争は過熱の度を加えている。しかし、その論争の多くは、魏志倭人伝中の邪馬台国に関するわずかな記述の解釈をめぐってのものに他ならない。この魏志倭人伝を始め、古代日本に関する中国史料を一堂に集めた史料集。現代語訳・原文(影印)を新たに付した。
文化人類学事典 [単行本]
石川 栄吉 (編集), 大林 太良 (編集), 佐々木 高明 (編集), 梅棹 忠夫 (編集), 蒲生 正男 (編集), 祖父江 孝男 (編集)
第一線の研究者が用語・民族・人名など約2600項目を執筆。世界的水準をゆく文化と民族のエンサイクロペディア。充実した内容をそのまま縮刷した待望の普及版。専門家だけでなく、一般の人にも役立つ。
魏志倭人伝の考古学―邪馬台国への道 [単行本]
西谷 正 (著)
魏志倭人伝に登場する国々、帯方郡から邪馬台国へ至る各国の過去から最新の発掘調査まで詳細に検証した邪馬台国を考える決定版。
日本刺青墨録(にほんしせいぼくろく)
http://www.keibunsha-bp.jp/office/04_01.html 参照
第一回 『日本伝統刺青の絵柄』(水滸伝編) 第二回 『日本伝統刺青の絵柄』(龍編)
アイヌ民族といえば、刺青の文化でも有名ですが、アイヌ文化はユネスコ文化遺産です。天皇陛下がご訪問された時のニュースです。
北海道訪問の天皇陛下 アイヌ民族の舞踊を鑑賞(11/09/12)
http://www.youtube.com/watch?v=kW73qRTbbBM より参照
東京地方裁判所での刺青肯定の判例記事
http://www.ribiyou6pou.com/kiji/4-6.htmlより抜粋
東京地方裁判所の裁判官は、弁護人の「類似行為といえる入れ墨は社会的に容認ないし黙認されている。」という主張を、「アートメイクと、古来から行われてきている入れ墨を彫る行為とは、針で人の皮膚に色素を注入するという行為の面だけをみれば大差ないものと認められるので、入れ墨もまたアートメイクと同様、医行為に該当するものと一応は認めています。しかし、入れ墨は歴史、習俗にもとずいて身体の装飾など多くの動機、目的からなされてきている。」という理由で退けました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~horitaka/cdmein.htm
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