まるでフリーメーソンの回し者みたいだ笑
それは、例えるなら「人生の反抗期」。
憎しみと怒りと恐れと焦燥、少しの安らぎも必要としない、見えない敵との戦争だった。
自身のトラウマを人々に晒しながら、誰も愛さず、誰からも愛されず、ひたすらに恐怖の音楽を奏でていた。
しかし、だからこそ純粋だった。
MAD3は死に絶え、私は永遠の十代でいることをやめた。
これからは、吸血鬼のように、人の命を糧に命を繋ぐのではなく、神と仏の波動を音楽に乗せて、人々に癒しと元気を伝え、ロックンロールを通して、アカシックレコードに新たな一頁を書き加えられるような、意味のあることがしたい。
MAD3の頃の私みたいな、社会の作り出す病理を抱えた誰かのトラウマを、癒してあげなくちゃ。
されど、私が命を賭けて作り上げたMAD3を、ふと懐かしく、愛しく感ぜらるる瞬間もまた、あるにはある。
以前なにかでめにした言葉。
これだけは確かだ。
「いまやっていることが、未来だけでなく、過去の意味までも変えることができる」
そうだよね。
だから崇の會をはじめたのだ。
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